世界が変わる、という実感

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@namonakigakkouさんが呟いていらしたことが

どんぴしゃりで、それを紹介したく。

『自分の常識外の出来事が起きた時、

それは自分の常識を広げるチャンス。』

常識、を、価値観、とも置き換えられると

私個人は思う。

『多くの親御さんは、自分の子どもが

不登校になったことによって

学校教育について、日本の常識について

考えるようになったはず。』

まさに。

学校に行くのが当たり前、と育ったし

それに対して何の違和感も感じず

むしろ「なぜ学校に行けないの?」と

行きたくないと泣いている子どもを責めたこともある。

それが続くと

果たして私は何をやっているのか?と思うようになった。

▪️泣いている子ども<学校に行って当たり前?

(常識、と思われていること)

▪️泣いている子ども>学校に行って当たり前?

(非常識???)

▪️泣いてでも行かないといけない学校教育って何?

 

間違いなく、私の中で

【常識】と【非常識】の間で、せめぎ合いがあったし、

【自分が無意識に育んできた価値観】を否定するのは

【今まで自分がよしとして生きてきたことを否定する怖さ】があった。

 

でも、目の前の、自分の大切な子どもが

泣いて訴えているのを

見過ごすことは決してできない、と思った。

優先するのは

「子どもが笑顔で過ごしてくれること」

 

自分の中での、

常識・非常識への闘い=世間体への闘い、

学校の意味を考えまくる時間を経て、

私の世界は変わった。

嫌だと泣いて訴えてくれた娘のお蔭で

私の価値観は広がった。

 

一人一人の意味ある命。存在。

それが落とし込めた時

世界は明るくなった。

今までも明るいと思い込んでいたけど

もっと明るくなった。

それは胸を張って言えること。